父が亡くなって1年が経ちました。
入院生活も長かったし、高齢だったこともあって、覚悟はできていたと自分では思っていました。
しかも、生きているときはとんでもなかったし、、、
ただ、亡くなって1年が経ち、父のことを思い出すと寂しくて涙が止まらなくなります。
親ってやっぱりそういう存在なのかなあと、思います。
飲んだくれて暴力もふるう父が大嫌いだった
昭和元年生まれの父は、戦争に出征していたこともあったのか、8歳で実母を亡くしてしまった寂しさからか、シベリア抑留でひどく辛い目にあったことからか、
かなりの荒れ男でした。
酒を飲んでは騒いで暴れ、嫁を殴るとか
ひどくののしるなんてことは日常茶飯事で
一回夜中に母親を正座させて怒鳴りつけているのを見たときは、心から殺してやろうかと思いました。
しかも貧乏
しかも見栄っ張り
お金もないのに、高額な健康器具とかを買わされて、健康器具もクーラーもあるけど明日のお米がないとかそういう次元でした。
母が怒鳴られて泣いている とか
日曜日も母が仕事に行って大嫌いな父しかいないから、バスに乗って母を姉と迎えに行った とか
小学校の夏休みはほぼ姉と過ごした とか
一度も泊まりで家族旅行に行ったことはない とか
建売住宅を買ってからは、もっと「お金」での喧嘩が増えて
母が殴られて顔面が腫れすぎて寝込んでしまった とか
「お金がない!」と怒って箸を振り回して命の危険を感じた とか
それはもう散々な人生を送ってきました。
だから大人になっても、男の人が仕事場で言い合いをしていると「もう、ここで怒鳴るやろうな」「もう始まるな喧嘩」とか内心いつも思ってました。でも、普通の人は言い合いしても、鉾をおさめられるので「マジか〜!怒鳴らないってあるんや!」と驚いたこともあります。
父の抑圧された人生
父は本当に私や姉にも厳しくて
1、9時就寝(それ以降一切物音をたててはいけない)小学校、中学校まで
2、漫画を読むこと禁止
3、トランプや花札も禁止(賭け事はよくない、、賭けてないけど)
4、短い髪の毛禁止、もちろんパーマも禁止(女は長い黒髪が一番)
5、肉食禁止(そのため麻里子は今も牛肉食べれない)
6、おかえりなさいは玄関まで出迎え、おはようございます。おやすみなさい。は鉄則
7、食事は父親と一緒にいただきますを言わないと食べれない
など、これ虐待ちゃうん?と全力で突っ込みたくなるくらいの非人道的ルールがまかり通っていました。
まあ、もちろんなんですけど、、男の子とつきあったとして内緒ですし、恐ろしくて絶対言えない雰囲気です。
一度母がいないときに、姉が熱湯の入ったヤカンを手に「絶対許さない」と父にかけようとぷるぷるしているのを見て、本気で止めたことがあります。
大人になって父に対して思うこと
23歳で家を離れてから、寮生活をして思ったことは「お父さんが言うこと結構本当だったんだな」ということ。父から厳しく躾けられていたので、良かったなと思うことが多かった。
さらに、結婚して子供が生まれてからは「父は不器用で心が優しいけど、弱い人だったんだろうな」と思いました。
仕事の途中で、二匹の捨て犬を見つけてしまい、拾わずにいられず家に連れてきて、最後まで可愛がっていたこと。
犬も猫も鳥もたくさん飼って、可愛がっていたこと。
自然の植物が大好きで、家の庭にたくさん植えていたこと。
朝日や夕日を毎日いつも眺めて、きれいだな〜と言っていたこと。
美しい音楽が好きで、クラッシックやお琴のレコードをよく聞いていたこと。
私や姉が熱を出すと、リンゴ買ってきて心配そうに「ゆっくり休め」と言ってくれたこと。
ムチャクチャだけど、人の悪口は絶対言わなかったこと。
暴れる原因だった大好きなお酒もタバコも自分の意思で必死にやめて、最後は断酒、断煙できたこと。
不器用で、いろいろ辛いことがあったり、それを受け止められなくて、自信がなくて、それを母にわかってほしくて、母も母でいろいろ問題があったので、うまく疎通できなくてぶつけてしまっていたんだろうなあと、まあ今ならちょっとわかるのです。
父にも母にも問題あったよなあって
小さい頃は、お父さんだけ悪いと思ってたし
殺してやりたいとも思ってたし。
お母さんを守らなきゃと真剣に思ってたし。
でも、離れてみて年齢を重ねると、両方ともに原因があったんだろうなあと思ってます。
父が亡くなって1年経って思うこと
1年が経って思い出すのは、父のお茶目に笑う笑顔です。
嫌だったこともたくさんあるんだけど、正座しながら朝日を拝んでた姿とか
美味しそうにアンパン食べてた姿とか大好きなラーメン一緒に食べたこととか
父の純粋だったところしか思い出せなくて、せつなくなります。
父の死で、麻里子の人生も1つ区切りがついたというか、新しいスタートが始まった気はしてます。
今まで、なんでこんな家庭に生まれてきたんだろう、、とか
私はなんでこんなに不幸なんだろう、、とか
いろいろ思っていたことも多かったのだけど
今は、父の純粋だった部分だけが、麻里子の心に残っていて、
「美しいものを美しいと感じれる親だったんだな」
と思ったり
「ありがとうお父さん」
って感謝の気持ちもいっぱいだったりします。
それと、自分の人生を呪わずに祝福できる気持ちになってきました。
それは、夫や子どもたちや友人のおかげでもあるんだけどね。
壮絶だと思って不幸だと思って、隠したいと思って、恥ずかしいと思っていた麻里子の人生も、これも「麻里子の個性」なんだとやっと思えるようになってきました。
もう包み隠さず、本音、本当のこと、本当の気持ちでこれからは生きていきたい。
だからこそ、自分に「今本当に本音?それが本当の気持ち?」って問いかけて純粋に生きていきたいと思ってます。
長々、自分のことを書いてしまいました。